私の商売との出会いは、10歳の時だった。
ある日、「パパの会社は、潰れたから、これからお母さんが飲食店をやるから、家の事は、お兄ちゃんとお前でやるんやで!」
ええ〜!
おとんの借金1000万円の連帯保証人になっていた母のところに借金の取立てがやってきたのだ。
母は、当時の銀行支店長に、私は、お金も仕事もないから、返されへん。返すために商売をするから1000万を貸しなさい。なんとおかんは、取立てにきた銀行からさらに1000万を借りてしまったのだ!
その支店長はのちに常務にまで出世したが、当時はまだ、人を見て金を貸す奇特な支店長がいたようだ。
妹は、まだ8歳と6歳。ずっと家にいたおかんは、深夜2時まで年中無休という無謀な看板をあげていきなり店を開店した。
家へはほとんど寝に帰るだけになり、家のこと、妹の世話は、僕と兄貴がすることになった。
おかんは、もちろん居酒屋経営の経験はなかったが、すしや刺身は、雇った職人に任せて、自分は、得意な家庭料理の肉じゃが、冷奴、枝豆、やきとりなど、枠にはまらない酒のあてメニューを次々とだしていった。
当時は、すしも時価の店が普通だったが、値段を明確に表示し、サラリーマンでも安心して頼める工夫もしていた。今は、あたりまえのなんでも居酒屋は、当時はなく、深夜営業の居酒屋の先駆者ではないかと思う。
近くにソニーの本社があり、店は、夕刻サラリーマン、深夜は、深夜族で賑わい大繁盛した。
電車が終わったら客はないで、という回りの声も無視して2時まで開けていた。最初は、さっぱりだったが、だんだんと車で来る客で0時から満席になることもしばしばあった。時代は、夜型、車社会へ移行していたのをおかんは、見抜いていたのだ!
僕たち兄弟も土日は、洗い場やホールの手伝いに駆り出されたのが、僕の商売の現場デビューであった。
365日、休まず働く生活を1年続けたおかんは、160センチの身長で体重が36キロまで落ちていた。
1年後のある日、おかんは、心臓発作で倒れた。
一命は取り留めて、意識がもどった母に医師が話しているのが、診察室のついたてごしに聞こえてくる。
「あんた、こんな生活してたら、死ぬよ!生活をかえなさい!」
「先生、わたしこの仕事をやりぬけなかったら、子供にろくな教育もうけさされへんから死んだ方がましやねん。元気になる注射打ってください!」
僕たち4人兄弟は隣の待合室で無言できいていた。
商売は、命がけでやるもんなんや!
母は、生き様を見せて商魂を教えてくれたのだ。