友の死を受けて親父を思い出す。親父が死んでもう5年になる。コロナ渦中で、介護施設にいたため面会禁止で、最後はほとんど会えなかった。
親父は、面と向かって僕に怒った事はない。何か教わった記憶もない。

プロ野球で栄光を掴むを夢みて当時の名門浪商で高校球児になったが、上級生が暴行事件を起こし、出場停止。甲子園、プロ野球への道を諦め、水商売の世界に入った。当時は、2人のバーテンを雇うのに50人が応募に来ていたらしい。変わりはいくらでもいる時代、必死で働いて、20歳で独立した。3人のバーテン仲間で始めたからスナック スリーサンズ。南でスナックという言葉を使ったのは、親父が初めてだったらしい。それまでは、洋酒喫茶、サパークラブという業態だったが、簡単なスナック、軽食を出す気軽な店だからスナックとしたらしい。2月に椿でオープン予定のアソビバー スリーサンズも3人のマスターの交代制営業なんで、親父の店名をいただいた。

子育てに無関心な親父に遊びに連れてもらった記憶は、おかんと別居中に子供のご機嫌取りで連れてくれた奈良ドリームランドだけ。1度だけだから良く覚えている。スクリューコースターが日本で初めて出来て話題になったのに乗るために連れてくれた。
貧しい家庭の8人兄弟、小学生の頃から学校にもろくに行けず家業の手伝いをして育ったらしい。スナックをやめて立ち上げたゴルフ用品関係のギフトショップで不渡りを掴まされて倒産。家族が路頭に迷う寸前でおかんが開業した飲食店に便乗した。起きてるほとんどの時間を仕事に使い、仕事漬けの生活をしていたが、しんどいとか愚痴などを聞いた事は1度もない。
冗談が好きでトークは面白い。バーテン上がりなんで、客を喜ばせるのが上手かった。当時のバーテンダーは、ボトルを手で回して見せたり、トランプ手品をしたり、カウターでできる色々な事をして客を喜ばせるプロだった。
今のスナックは、水割り作ってカラオケをすすめるしかしないから面白くなく、流行らない。ひどい店は、客がホステスを楽しませている始末。
あっ、親父からは、ガキの頃にトランプ手品は教わったなあ。
男らしく、いつも元気に一生懸命働いていた。
時間には、とても厳しい人だった。
私が家業をやり出したので、乗っ取る感じで、55歳で引退してもらった。早い隠居生活は、山登り、ウォーキング、自転車でのポタリングを楽しんで、こんな素晴らしい人生が来るとは思いもしなかったと会う度に言って、暗黙の感謝を僕に伝えてくれていた。子供の頃から仕事漬けの人生で、仕事するのは当たり前、死ぬまで現役で働く人生だと思っていたのだろう。
男は、その生き様を背中で語る。
子供になにかを語る必要なし。
背中を見せて語るのじゃ。